まめ大師尊とは
当寺は、高野山真言宗のお寺です。
御葬儀、御法事(年忌法要)、月参り、各種回向、各種御祈願をお勤め致しております。
まめ大師尊縁起
言い伝えによりますと、その昔、当寺に少し風変わりなお坊様が「宿をかしておくれ」と言って入って来られたそうです。住職も変わった方が来られたな、と思いつつもお迎えすると、なんとも言えないありがたいお声で読経され、そして「わしは土佐の国(現・高知県)からやってきた。大阪に帰依してくれる方がいて、正月の二日にはそこに行かねばならない。」とおっしゃるのです。住職が「留守中、土佐のお寺はどうなさっているのですか。」と尋ねると、「わしの留守中は青年団が留守番をしている。ちっとも心配ない。わしの寺には裏に細い滝があり、しばしば屋根の上に五色の雲がたなびいて、お遍路さんが『あそこは何かありがたいことが有りそうだ』と言って、時折立ち寄って拝んでいくのだ。」と申され、それから一週間おられました。
その滞在中のこと、信者さんがお供えくださった豆と米を「ちょっとおくれ」と言って奥の座敷に持っていかれました。住職が何をなさるのだろうと思っていると、旅立たれる前の日に、「この豆粒と米粒には、ここにお参りに来られる信心の方が、まめで達者で幸せに暮らせるようにとの秘法祈願を込めて書かせてもらったから。」と、大豆に弘法様、観音様、お地蔵様、お不動様、お稲荷様の御影、いろは四十七文字、また米粒には、弘法様、大黒様の御影、阿弥陀様の御名号(南無阿弥陀仏)が描かれた九つの大豆と米をくださりました。 現在ならば、顕微鏡や拡大鏡などがありますが、そんなものの無い時代に、このようなものをお書きくださったのです。他にも、雨の日に外出されても濡れられなかったり、お見送りをすると、いつの間にかお姿が見えなくなることがあったりと、不思議なことが多々有ったそうです。そして、来られた時に申された正月の二日になると、すうっと消えるように行ってしまわれたのです。
後日、残念に思った住職が、四国遍路の参拝に行かれる方に、土佐まで行ったら、裏に細い滝のあるお寺を探し、お礼を云って下さるよう頼んだところ、お寺を捜し当てたものの、中には、弘法様がまつられているだけで誰もいる様子がありません。近くの人に聞くと青年団が持ち回りで留守番、掃除などをして世話をしているだけだと云うことでした。当寺に来られたお坊様は、ここの弘法様だったのかもしれません。
以後、授かった豆粒と米粒はまめ大師尊として大切にお祀りしております。そして、拝めば無病息災 福徳長寿 のご利益があると伝えられており、五年に一度、御開帳を厳修致し皆様にご参拝いただいております。
次回、まめ大師尊御開帳は令和8年10月の予定です